永年のご愛顧に感謝!今までもこれからずっと先までも宜しくお願い申し上げます。
明治40年生まれの祖父が弊社を起業いたしますが 最初から家具屋ではありませんでした。
若いころはリヤカーを引き大根を売り、牛乳を売っていたこともあるそうです。ある時腹をすかせた祖父が屋台の鍋焼きうどんを食べ
そのおいしさに心動かされ自分の食堂を持つことを決心しました。場所は札幌市の狸小路 店の名は「浅草軒」。ラーメン・カレーライスを
売る店は珍しさと味の良さと自家製麺が特徴で大繁盛だったということです。昭和10年ころでしょうか 札幌市の麺業組合の組合長も
務めた祖父は いつも懐に大枚をいれ街を闊歩していたということです。しかし、良い時期は永くは続きません。日中戦争・太平洋戦争の勃発により
食材仕入れが滞り 航空機による空襲も懸念され 幸か不幸か背の小さな祖父は軍隊の入隊検査に落とされ それを機に近郊町村へ疎開したのです。
疎開先は南幌町です。そこでも食堂を再開しますが 街の味は受け入れられなかったようです。そこで家族を養うために形態の違う店を始めました。
店名は「久保又三商店」~家具やオートバイ、自転車、ミシン、ベニヤ板、建具、電気製品などを扱う …今でいうところの小さな「ホームセンター」の
ような店だったそうです。その頃のオートバイ、自転車、ミシンはメーカーよりばらばらで送られてくるので組立てが必要だったと聞いています。
祖父の長男(=私の父)は手先が器用で 図面もろくに無いそれらの商品を次から次へと、組立てて販売していったそうです。
その南幌時代から74年 室蘭へ移転し61年の年月が経ちました。多くのお客様にご愛顧いただき今の丸三家具商行がございます。
80年90年前に祖父が販売した大根・牛乳・ラーメンがあったから 今私たちはソファ・ベッド・じゅうたんの取り扱いができるのです。
現在 家具店舗の中の様子は50数年前とほとんど変わっていません。カウンタ―椅子は40年も使っている天童木工の椅子です。
沢山の店員さんがいて、父母が店を切り盛りし、祖父母も健在で トラック2台が忙しく配達に走りまわる光景が今でもまぶたの裏に焼き付いています。
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